2014年8月5日火曜日

僕とカレー

僕とカレー

 僕とカレーは長い付き合いだ。そしていいお付き合いをさせていただいている。しかし驚くべきことにカレーと犬猿の仲、なんて友人に殆ど出会ったことがない。それこそが感動的な事実である。だからこそ僕はカレーが好きだ。


 僕は現在、無類のカレー好きである。自分では「カレー狂」と言われるほど狂ってないつもりだが、気がつけばキッチンにはありとあらゆるスパイスで溢れかえっている。もう3,4年はカレールーなんて買っていない。カレーをスパイスで作る以外の選択肢をすでに失ってしまったワケである。
 
 真夜中に眠い目をこすりながら、クミンシードとマスタードシードを油で熱するといきなり目が覚めて胃袋も飛び起きる。玉ねぎを炒めながら、お馴染みのあいつら(コリアンダー、ターメリック、チリパウダー)を足して、最近マイブームのクローブやカルダモンを加えて煮込んでいく。するとこの世で最も幸せな料理が完成する。そしてお鍋を空っぽにする。そんなこんなでカレーは僕の恋人なのである。


 思い返すともともとカレーにそこまで思い入れはなかった。普通には好きだったけど。
夏休みの自由研究でお母さんとトマトカレー作ったくらいの記憶しかない。
 
 カレーにはまる転機はおそらく大学に入って家の近くのSOLというカレー屋さんに行くようになってから。その店は当時カウンター5席くらいしかなくて、とても狭かったが、なんせカレーが美味い。日本人のおいちゃんが作るスパイスカレーにナンの組み合わせが幸福の極みだった。地元ではインドカレーなんてしゃれたものなかったので、まさに青天の霹靂。
 (後から知ったのだがこのおっちゃん、日本で5本の指に入るナン焼き職人とのうわさ。出会ったのはまさに運命の一言だったかもしれない) 

 それから関西中のカレー屋を食べて回った。インド、パキスタン、ネパール、タイ、カレーとは言ってもひとくくりにできないほどのバリエーションがあることもわかった。そして自分を更なる深みへと誘う出会いがあった。スリランカカレーとの出会いである。肥後橋にあるスリランカカレー店で僕は衝撃を受けた。

「オクラとお肉のカレーなのかな?」と思ってオクラのカレーを頼んだら、オクラしか入っていなかった。しかし驚きながら食べると、その瞬間にお肉がほしいだなんて気持ちを一瞬で忘れるほど深い味わいだったのだ。島国であるスリランカは日本の鰹節のような乾燥魚節をカレーに使い深みを出し、ココナッツミルクでまろやかにまとめあげるのだ、と聞いた。カレーは文化だ!と思った。だって僕らが勝手にまとめてカレーって呼んでるだけで全然違うんだもの。

 僕はその半年後にスリランカに旅立ち、1か月ホームステイをしてカレーを教わった。帰国後は大学構内でカレーを配ったり、商店街でカレーをふるまったり、カレーがライフワークの一部となった。そののちには知り合いのカレー屋さんの伝手でネパールにもホームステイした。国が違えばカレーも違う。当たり前のことだが家庭に立ち入って初めて実感できたことはたくさんあった。

 「毎日カレー食ってて飽きないの?」

と、インド人に質問をするのは愚問だとどこかで聞いたことがあるが、その意味が少しわかった。彼らにとってチキンカレーと野菜カレーは全く違う料理だ。親子丼と大根の煮物が同じ醤油味なのに、僕ら日本人にとって全く違う料理であるのと一緒である。僕らは日本の文化圏からスパイシーな煮込み料理を全部カレー味と勝手に呼んでいるだけなのである。カレーは全部一緒なんて大きな勘違いである。深いのも当たり前だ。

「食事は生活と文化を映し出す鏡である」

そう気付かせてくれたのはカレーのおかげである。愛してやまない、これからも。